2026年01月18日

共通テスト、終わりました

共通テスト……終わりました……

まあ、今年も悲喜交々ですが

これから
それぞれが選択して
受験校がしっかり決まってくるという
運びだとは思いますが

もうすぐ中学受験のシーズンも来ますし
忙しい闘いの日々は続きます。

なんか
新規募集について、記事と関係なかったので
載せなかったのですが
結構問い合わせがきてますが

新規募集は2/1からで、今年は例年通り
on-line授業だけにします!
posted by 物理屋hν at 00:00| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月17日

今日は共通テスト1日目です

今日も2時間弱ウォーキング
行ってきました。
そういえば暫く雨が降ってないので
ずっと歩いてますね😅
もう初めて14か月ですか……
自分でも
よく続くもんだと思います。
半ば呆れております。

まあ
自分のやるべきことを誠実に
コツコツやっていくのが
人生だと私は思っています

そのウォーキングの途中で
神社に行って、生徒が全員
しっかり自分のやるべきことをできるよう
祈ってきました。

自分がやったこと以上のことが出来るわけもなく
仮にそういう僥倖にあったとしても
それはそれで、運が良かったなあと思って
自分の実力だとかは
思わない方がいいです。

私はいつも生徒に言ってます。
結果より経過が大事なんだと
自分が出来る限りのことを誠実にやって
それで結果悪かったら
実力不足、努力不足で
また、コツコツ頑張ればいいんです。
結果が良くても
同じことです。
大学に受かったから、そこで人生は終わりではないです。
何かに成功した?それもゴールではなく
その後の人生を如何に生きるかが大事です。

今日は夕方以降授業がないです。
明日も授業は少ししか入ってないです。

共通テストに向けて
私ができる授業はしっかり出来ましたし
神頼みもしましたし😂
何の悔いもないです。
これ以上やれと言われても無理なので。

後は生徒が
本番でしっかり自分のやるべきことをやる
プロ受験生として
プロの仕事をしっかりやってくる
その結果がどうであれ
それはそれでまた新しい努力を続けて行くだけです👊
posted by 物理屋hν at 10:33| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月16日

レッテル政治と是々非々の思考

歴史は周期的にいろいろな
同じようなことを繰り返しますよね😅

私は最近
日本でいろいろ言われてること
大きな声、これはネット上における日本社会の話ですが😂
安保闘争、学生運動と似たような構造の話が
言われています。

これ「ら」の動きに対して
いつも
私は政党政治の限界を感じざるを得ません。

政治的議論の場において「自分は保守だ」「あなたはリベラルか」といった
立場表明を強く求める風潮が目立つようになっていると思います。
歴史は繰り返す、ということですが。

ネットのおかしな人々、もしくは現実の政治でもそうなので
日本人全体に蔓延してることなのかも知れませんが

こうした態度は
一見すると自らの思想を明確にする
健全な行為のように見えまずが……
しかし実際には、このレッテル化こそが
建設的な議論を阻害し、
現代政治の歪みを生み出しているのではないか?
って思うんです。

例えば、外国人移民政策に対してもそうですが
これは今ある日本の現状と理想の中で
どうしていくべきか?どうせざるを得ないか?
精緻に議論を積み重ねないといけない問題です。
ただこの問題に対して
外国人をどうやって上手く社会で活用していくか?
みたいな話をする人は
ネットで「反日」だって言われる訳です。
そこで何一つ建設的な意見は交わされない。
相手の意見を真摯に聞こうともしない。

そもそも
なんで人の意見は意見で
その人が好きか、嫌いか
その人の属性と離して
考えられないのでしょうか?

ピタゴラスの定理を使うのが
善人だろうが悪人だろうが
ピタゴラスの定理自体の正しさと
全くもって無関係ですよね?


これは日本の義務教育が良くないのでしょうか?
ちゃんと学校で教えなかったんでしょうか……

昨日書いた「反ワク」も
全く同じことがおきてるわけです。
ワクチンに対して意見が違うだけで
人格攻撃をする
名誉毀損だ、法的措置をとるぞ!とか……
外国人問題の「反日」も同じです。
正気の沙汰ではないです。

こういうことをする人が到底
日本の義務教育を経てきてるとは
思えないです。

政治の話に戻すと
本来、個人の政治的判断は単一の軸で整理できるものではないです。
安全保障、経済政策、福祉、表現の自由、環境問題など、
政治的イシューは多岐にわたり
それぞれの問題に対して、個人が異なる価値観や優先順位を持つのは
当然であり、あるイシューではいわゆる「保守的」な立場を取り、
別のイシューでは「リベラル」と呼ばれる考えに
賛同することも何ら不自然ではない。
……というか当たり前です。

人間なんて基本的に皆考えが違うんです。

何かの立場表明を求めるということで
あらかじめ立場を固定し、その枠組みの中で意見を求める態度は
思考の柔軟性を奪ってしまいますよね。
ですから、こういうレッテル貼りは嫌いですし
さらに厄介なのは、「あなたの立場はどちらか」と迫る行為が、
議論の内容よりも陣営の確認を優先してしまう点なんです。

これは相手の主張を理解しようとする姿勢ではなく、
分類し、敵味方を峻別するための問いに近いです。
すべでそうだと思います。
その結果、政策の是非ではなく、発言者の属性が評価基準となり、
是々非々の判断が困難になります。

普通に議論が出来ない、相手の考えをとりあえず
しっかり聞いて理性的に考えることが出来なければ
議論なんて成立しないですし
そもそも喧嘩が目的である議論はやっても意味がないです。

お互いがお互いの見えてないところを知る
それによって自分の意見をより深いものにする
そのために議論はあるわけなんです。

なぜなら、そもそも人間は、皆考えが違うからです。

このレッテル貼り、立場の固定化問題は
政党政治の仕組みとも深く関係しているんです。
政党は多数を形成し、政策を実行するための装置として機能してきました。
だけど党議拘束によって
個々の議員の判断や専門的見解が抑制される場面も少なくないです。
本来、イシューごとに熟議し、賛否を判断すべき問題であっても、
「党としての立場」が優先されることで、多様な意見が表に出にくくなるんです。
ここに、現代の政党政治の限界を見ることができますし
だから私は政治が嫌いなんです😂

科学を歪めますしね😭

政治的立場を固定しない態度というのは
しばしば「優柔不断」や「無責任」と誤解されがちですが
しかし実際には、それは問題ごとに考え続ける姿勢の表れであり、
むしろ民主主義にとって不可欠な態度ではないのかと
思います。

だから、真面目に考えると、ある政党に投票するというのは
難しい問題です。
個々に政策をしっかり考えたら、一致する政党なんてないので。

保守かリベラルかという二分法に安住するのではなく、
個々のイシューに対して自らの頭で判断することこそが、
分断の時代における成熟した政治参加のあり方だと思うんですが
そんなこと
今の政治に求めても無駄ですよね。

posted by 物理屋hν at 10:00| Comment(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月15日

新型コロナワクチン騒動総括

もうこれは散々私がブログでお話してきたことですが
俗に言う新型コロナワクチンの
何が問題で
何がおかしかったのか?
をまとめとして
書いておこうと思います。
今までブログで書いた話と
私の見解は現在になっても特に変わってないので
言わば焼き増し感半端ないですが……😂


私はそもそも
長年、ワクチン開発を追ってきました。
natureや諸々の論文雑誌で。
そこで語られていた、言わばconsensusは
SARSやMERSのワクチンって
そもそもかなり難しいよね?ということです。

それは一番大きな壁として
抗体依存性感染増強(ADE)の問題があります。
SARS・MERSでは、
ワクチンで作った抗体や免疫反応が
感染時に逆効果になる現象が動物実験で繰り返し観察されました

具体的には
抗体がウイルスを「完全に中和」できない
→ 逆に免疫細胞に取り込ませてしまう(ADE)
ワクチン接種後に感染すると
→ 肺で過剰な炎症(Th2型免疫、好酸球浸潤)が起き、重症化してしまう
ワクチン自体が「効かない」どころか「危険になり得る」
これが、研究者を最も慎重にさせた点です。

簡単に言うとコレ系のワクチンを打つと逆効果になるんです😱

今回の新型コロナ、COVID-19もSARSです。
これに急にm-RNAワクチンって、ん??って思うわけです。
こんなの普通に考えてヤバイです。
これに対してちょっとした開発側の
イクスキューズは読みましたが……何の根拠も示されない
願望のようなものです。

いやいや、そもそもワクチン開発の理念とは違わない??って思うんです。

私はワクチン開発の歴史も追ってきました。くどいですが。
こんなことが起こる前から。
ワクチンという技術には深いリスペクトがあります。
なぜなら、健常者に対して投与する医療介入である以上
安全性の優先度が絶対であり

そのために膨大な年月と費用をかけ、慎重に検証してきた歴史があるからです。
ワクチン開発なんて本当に儲かりません。

ただ、これもブログで
何回も書いてきましたが
ワクチンというのはDNAウイルスに対しての効果は絶大ですが
今回のようなCOVID-19やインフルエンザのようなRNAウイルスには
変異が多すぎて、そもそも不適用な技術なんです。

簡単に言うと、あまり効かないので
このアプローチ自体が間違えてると私は考えてるということです。
(DNAウイルスに対しては👍ですが)

RNAワクチンに関して、効果の面で過大評価されています。
感染予防効果は短期的で限定的、発症予防効果も条件付きで、
重症化予防効果だけが一定の効果を示す可能性があるに過ぎません。
これはインフルエンザワクチンのように
RNAウイルスに対するワクチンの性質からも予想されることであり
本来は「理想的な解決策」ではないと思います。

そもそもこの効いてるかどうか分らないような
インフルエンザワクチンが認められてきたのは、
絶対安全だという保障があったからだと思うんですが……。


私が過去にon-line授業になるまえに
中学受験のインフルエンザを気にするご家庭に
ワクチンを打ってきて下さい!と言われて
素直に打ってきたのもの
効くか効かないか知らんけど
というか
ほぼ効いてないでしょうけれど
絶対安全だから!打ってきたんです。
ご家族のメンタルのために(笑)

その絶対安全の保障がない
新型コロナワクチンなんて打つわけないですよね😅
これで死んだら、自殺よりも恥ずかしいので。
そもそも新型コロナにかかって死ぬなら
まだしもかかってない時点で
効きもしないワクチン打って死ぬって😅😅
末代までの恥です。
命の無駄遣いです。

ワクチンの研究者たちは倫理的責任感に基づき、
「人を守る」という一点に集中してきました。
その姿勢は、個人的には敬意以外の何ものでもないです。

でも、COVID-19パンデミックはその長年の倫理と科学の文脈を圧縮し
ある意味で飛び越えてしまった😭
ワクチンは短期間で大量生産され、緊急承認され、
世界中で数十億人に投与されました。
従来のワクチン開発では考えられなかったほどのスピードです。

もちろん、パンデミックの危機感や政治的圧力が背景にあり、
科学の世界だけで決定されたわけではないです。
それ自体は理解できます。

でもそのスピードの代償として
「不確実性を不確実性として保持する」科学的態度が
大きく失われたと私は思うんです。

つまり、感染や発症の抑制に関しては限界があるワクチンを
数十億人に投与することの倫理的許容性は
従来の慎重さの尺度で考えれば、本当におかしな話です。

COVID-19ワクチンの安全性についても
従来のワクチン開発プロセスに比べて
十分に担保されていない可能性すらあるんです。
副反応報告は多数あり、長期的影響はまだ十分に追跡されていません、

ADEの問題も、理論的には依然として未解決です。

安全性は絶対的であるべきであり
効果が限定的なワクチンにおいては
なおさら慎重であるべきですよね?

これについて、日本社会の反応も
私は、お前ら大丈夫か?って思いました。
思いやりワクチンだから打てとか
完全に安全性は担保されたとか
出来てもない嘘を政府側が言い……
それらの発言の責任は現在も誰もとってない。

それぞれのメッセージは単純化され
極端な二分法が生まれて、
俗に言う推進派は「絶対安全・絶対有効」と主張し、
反対派は「絶対危険」と主張する。
どちらも、現実の科学的データでは断言できないはずなんです。

でも政治や心理的安心のために、極端な言説が生まれ
科学的な不確実性は排除されてきた……
この構造は非常に危険だと思います。
この社会の反応の仕方に対してこそ
これから歴史に学ばないといけないと思います。

科学は、絶対の真実ではなく、
暫定的な知識と条件付きの評価の上に成り立つものなんです。

私のようなブログ、立場

今まで言ってきたことと違うけど?
どうなってるの??って
科学的にしっかりフラットに分析しなきゃだめだよね?
特に今までの話と文脈を政治によって180度変えてるので……

これを言うだけで「反ワク」認定です(笑)

いやいやそもそもワクチンに推進も反対もないんです!
なんだ😠この二項対立と思います。

そして、今
敢えてこの分類を認めてメタで考えてみると
推進派と反対派は、表面的には対立しているように見えますが
実は構造的にはよく似ているんです。
どちらも心理的安心を優先し、不確実性を避けるという点では
共通しているので。

科学的態度として最も重要な
「分からないことは分からないと言える勇気」
「条件付きで考える」という姿勢が、
この状況では最も排除されやすかったことに
私は強い違和感を覚えました。

私はワクチンを否定したいわけではないです。
むしろ、人類の叡智として尊敬している部分があるからこそ、
雑に扱われることや、政治的・社会的圧力によって
科学が歪められることに耐えられないんです。

科学は政治的物語の正当化装置ではなく
自己修正を続ける知的営みであるべきなんです。
政治や社会は科学を利用することはできるが、
科学そのものの価値を変えるべきではないんです。

これくらいで長くなってきたのでやめますが
今回の新型コロナで
はっきり分ってることは
これは「人工」で作られた、デザインされたものだということです。
武漢研究所起源のものや、オミクロン株なんて
誰が見ても人工生成物です。
自然発生だと言う方がかなり無理があります。
無論可能性としてはあります
私の運動能力でNBAで大活躍できるくらいの😂

なんか、これについて色々な陰謀説があります。
ワクチンとセットで、儲けようとしたとか……
そういう考えは私はまだ、どうか……??と思っています。
かなり懐疑的です。

最初に武漢から漏れたのはおそらく「事故」なんだとは思います。
そのあとのオミクロンについては???と思いますが

何を言いたいかというと
こういうウイルスをもう人類は人工的に作る
技術をもってしまってる訳です。
もったからこそ、試してみたいと考える阿呆もいるわけです。
これに対して難しい話ですが
監視態勢を整えないと
核兵器より怖い事態が起こってしまうと思います。
posted by 物理屋hν at 00:00| Comment(5) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月14日

いじめ・暴力と個人の生存戦略について

私は子どもの頃から暴力による教育を受けてきた世代です。
些細なことで教師に殴られることが日常であり
痛みや恐怖は常に身近にありました。
それと同時に
いつか殴られて当たりどころが
悪ければ死ぬのではないか?という感覚があり
死も身近に感じておりました。

そういう私ですが、小さい頃からただ殴られてた訳ではないです。
小学校2年生の時に、女性の先生で
私が生意気?で嫌われていたこともあり
よく些細なことで竹刀で殴られました。
忘れ物をしたり、間違えて消しゴムを床に落としたり……
諸々で……
なんでこんなことで殴るんだろう?
殴られなきゃいけないんだろう?って思ってたんです。
当然、なぜ殴るのか?先生に聞きました。
そしたら
「お前らがやってることは猿と同じで、動物は
殴らなければ分らない。床を汚すことから
心の汚れが始まり
そういうのは大人が徹底的にたたき直さないと
いけない」
みたいなことを言うんです。
その時はまあ……世の中そういうものか……って
思ってましたが

ところが……です。

クラスで梨狩りか何かに行くとき、あれ??って思ったんです。
丁度、デイリーヤマザキのところで
高校生くらいの不良が酒を飲んで、タバコを吸って
道路に吸い殻や、痰を吐いたりしてたんです。
ああ、これは先生が殴るシチュエーションだ!✨って
私は思って、先生に言ったのですが……
先生は聞こえないようなふりをして
殴って教育するどころか、足早に逃げました😱

おいおいおい……って思って
このとき、幼い私でも暴力の仕組みが分ったんです。

暴力を振るう側には共通点があります。
いじめでも同じです。

それは、相手が自分にとって
絶対安全圏にいることを確認してから行動するという点
です。
教師は、反撃してこない生徒や自分より弱い立場の相手にしか暴力を
奮わないんです。
逆に、反撃される可能性のある相手や年上、
権力を持つ人には決して手を出さないんです。
ヤクザが悪いことをしていても、殴りかからないどころか
見て見ぬ振りをするんです。

つまり、暴力は正義や教育の手段ではなく
安全圏の確保に基づく臆病な行為なんです。

自分がやり返されない保障がある相手にしか
暴力は奮わないです。
先生という立場の利用もあります。

いじめも全く同じ構造です。
加害者は自分が絶対安全であると確信できる相手にしか手を出さないですし
実はそういうターゲット選びを、ふざけて軽く叩いてみたり
軽い意地悪をして、相手がどういう反応してくるか
試してるんです。その上で、ターゲットを慎重に選んでます。

何かでやり返してくる相手は怖いですよね
どんな復讐をされるか分らない。
道ばたで後頭部を急に殴られたり
急に刺されたり……
いろいろなことが心配になるんです。
いじめっ子や暴力を奮う人は臆病なんです。
本質的に。

ですから
いじめや暴力に対して最も効果的な自衛策の一つは、
相手に「安全圏ではない」と示すことなんです。

どんなに自分の方が弱くても関係ないです。
1回ボコボコにされても、やり返し続けていれば
その人にもう一回やってくる人はいません。
それなら他の絶対安全圏のターゲットを探すからです。
やり返してくる可能性のある相手が怖いんです。

ですから、やり返すというのがおそらく一番効果があります。
ではやり返す力のない人はどうするか……
それが昨日書いた映像を撮影して
晒すというのがあるのですが
これは昨日述べましたが
私は反対です。

殴られても殴り返すようなことは……
ある意味最後の手段というか
決して理想的な解決策ではないです。
身体的な力の差や集団の構図によっては
反撃自体が危険を増幅させる場合もあるので。

もっと先に考えることは
可能な限り
環境を変えること
つまり、逃げることです。

現代社会では、転校や転職、引っ越し、オンラインでの居場所作りなど
ある程度逃げる選択肢があります。
古くは歴史的にはそうした逃げ道はほとんど存在せず、
人々は避けられない暴力や
いじめに直面せざるを得なかった場合もあります。
でも、現代では比較的に容易に逃げて、環境を変えることができます。
いじめっ子も、一度ターゲットを見つけても、執着し続けることは稀で
環境を変えたり距離を置くことで被害を最小化できる可能性があります。

本当は周りにいる人の倫理観がしっかりしてれば
誰かが止めに入るはずですが……
何かに頼るのは残念ながら良くないです。
結局、有効な解決手段を取ってくれる人はいないです。
警察に頼ったり、先生や親に頼ったりしても
同じ環境にいたら
私はいじめの構造はなくならないと思います。
ですから
一番大切なことは「逃げる」ことです。
それがダメなら
相手に安全圏でないことを教えてやる……ということになるのですが……

私はこういう暴力を見てきて
暴力は連鎖すると思っています。
そもそも暴力でものごとを解決しようとする人は
その人も暴力を受けたことがあるからです。

自分が暴力を受けて
その理不尽さに嫌な思いをし
痛みを感じ、その仕返しとして
自分より弱い人に暴力を向ける

これが暴力の構造だと思います。

そもそも暴力を受けたことがない人は
暴力で何かを解決しようなんて
思いもつかないので。

ですから……この負の連鎖を誰かが止めないと
いけないんです。
私は野球部でキャプテンになることで
その連鎖を無くしましたが……

昨日書いたことを
もう一回繰り返しますが
こういう
いじめのようなものは
いじめっ子もいじめられっ子も
どちらが悪いとか良いとかいう話ではないです。
もちろん
ある個別の事象において、それは存在しますが
社会全体でなくさなければならないもの
本当に憎むべきは加害者ではなく
暴力そのものだと思うんです。
(一応誤解がないように書いておきますが
主語が「社会」の場合の話です。)

この連鎖する暴力を
1人1人各々の場所で無くしていくしか
究極的には方法はないと思います。
また
それ自体、現実的には難しいことで
それよりもまずは自分の身は自分で守るということが
大事なんだとは思いますが。

posted by 物理屋hν at 00:00| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする