大量に残ってる下書きがあります(笑)
これは色々な理由で下書きで
残ってると思いますが
古いものは本当に10年前のものがありますね
10年若い私が書いたものです。
感慨深いので
ちょっとアーカイヴスでも
たまに載せて見ますか……
まあボツになったということは
何かしらあったんでしょうけど
手塚治虫さんがボツにした
ブラックジャックの原稿を
死語家族として晒してしまうのと
同じです。
お金儲けなんでしょうが……
やめてあげて欲しいですが
ボツにはボツの理由があるので(^0^;)
私は生きてるので大丈夫です
アーカイヴスを見て
昔の自分をディスりまくって
やりましょう!!
それでは
書いてあるメモをそのまま
載せます。
ただ、現在の私の呟きは
(括弧)をつけて
書こうと思います。
過去の自分とのdialogです
『私は生徒によく言っていますが
自分を一番信じていません。
これを生徒に言うと
え~~っと大抵言われますが、本当です。
私はしっかり自分でコントロールをしておかないと
どう暴走するか分からない人間なんです。
まあ、暴走したことは最近10年くらいはないんですが(笑)
(→10年後には暴走してますよ~笑)
それでも、なんか危機感というか、不安感があり
根本的な部分で自分を信じることはできません。
まあちょっとしたことなどでは、信用できますが。
この自分への不信感というのは一般的な議論としても
非常に大切だと思うのです。
凶悪犯罪にしても、
実際は生まれつき気が狂った人、どうしようもない異常者が
やっている訳ではなく
たいていは元々は普通の人が犯しています。
人は状況や環境が変われば何でもやります。
第二次大戦時
これはドイツでは絶対に触れてはいけないタブーなのですが
ナチスの行うユダヤ人虐待など残虐行為に対して、密告や協力など
ドイツ国民の大半が積極的に行っていました。
これについてはフロムが「自由からの逃走」という本の中で
見事に私たちの集団心理を描いています。
自由は勝ちとったものであり、自由に生きることは素晴らしい
自由には責任が伴う…
自由ということの素晴らしさを今さら否定する人はいないと思いますが
実は人間というのは弱いもので、特に危機に陥った時に
自由で一人で困難を克服し、強く生きていける人などごくわずかしかいない。
結局、自由よりも誰かカリスマ的な権威に頼りたくなる
依存したくなるというのは
人間の本質であるとフロムは述べます。
ドイツが大戦に敗れ、重い賠償金を背をわされ、失業者が増え
そういう危機的状況に現れたカリスマ、ヒトラー。
アウトバーン建設の公共事業策とヴォルクスヴァーゲンに代表される
国民の豊かな暮らしへのあこがれ
そういうものを自分たちで何とかすると言うよりも
ヒトラーというカリスマに託したかったのだと思います。
人は極限状態では自由よりも服従を選ぶのです。
そういう異常な環境
状態における人間の心理を研究することはできますが
果たしてそれを今の平和な私たちが
先人のやったことの行為そのものだけを捉えて
非難したり、断罪できるものでは
ないと思います。
そういう戦争責任の考え方は
自分を切り離したかんがえかたです。
これを私は危険な考えかただと思うんです。
それは冒頭に書いたように
自分に対する、恐怖感、不信感が足りません。
誰もが
彼らと同じ環境におかれたら、間違いなく同じようなことをすると
私は思うのです。
そうならないように
私たちがなにをしていくか、考えていくか
ということの方が遥かに大切です。
戦争でもなんでもそうです。
それを平常時に考えても意味はない
私もその時代その環境になったら
何をしているかわからない』
まあ……
特に突っ込むところはなかったですね
まあ
昔の私が言われてる通りだと思います(笑)
責任が伴うというのは
本当にその通りですね
自由に何かをする
その自由の先にある出来事の責任までを
自分で負うこと
そこまでが「自由」です。
どんな格好をしても「自由」です
でも、おかしな格好をしすぎて
相手に異常者だと思われても
仕方ない
それを「なんで?表現の自由があるのに
私を異常者だと思うの?」って
主張する人は本当に頭が悪すぎます。
あなたに
どんな格好をする自由もあれば
それを見る側が
どう思うかという自由もあるので
この辺は公平に自由を扱って
主張すべきです。
まあ、今回のアーカイブスは
特に文句はないですね……
そのうち
過去の私と今の私が
大激突することもあると思いますが
10年も経っていれば……

