史上最高のボクサーは誰か?
それは私はフロイドメイウェザーJr.だと
思います。
彼ほど真摯にボクシングと向き合った人は
おりませんし
プロ成績50戦50勝
史上最高のボクサーだと思います。
私の大好きなボクサー
カネロ アルバレスもメイウェザーには
勝てませんでした。子供扱いされてしまいました。
そのメイウェザーの有名な格言があります。
「お前らが休んでいるとき、俺は練習している。
お前らが寝ているとき、俺は練習している。
お前らが練習しているときは、当然俺も練習している。」
メイウェザーは全てをボクシングに捧げている
言わばボクシング中毒だと思います(笑)
試合に勝ったあとの祝勝会でさえ、自分はお酒を一滴も
飲まず、適当なところで自分だけ切り上げて
トレーニングのために走って帰る。
こういう生活を物心ついたときから
ずっとやってるんです。
この言葉から、いつも思うことがあります。
生徒にされる質問で
「一日何時間勉強すればいいですか?」
「先生は筑駒に合格するために、東大に合格するために
一日どれくらい勉強したんですか?」
「先生はほとんど野球部で部活ばかりしてたのに
合格するのは天才だからですか?」
「東大模試で2回連続全国2位になるって
どれくらい勉強したらなれるんですか?」
みたいな愚問があります。
今、自分で書いただけでも、阿呆らしくて
頭が痛くなってくる。
何を言ってるんだ?この生徒は
大丈夫なのか??って、正直思います。
ただ、これは社会問題だとも思うんです。
だから仕方ないな……って
それは
勉強時間=椅子に座って教科書(問題集)を
広げて勉強してる時間
だと、思ってるんです……
頭が痛い😭
はあ???って思います。
勉強なんて、椅子に座ってなくても
いくらでも出来ます。
私は部活で20㌔を走る時、いつも
数学の問題を6,7問とか
覚えていって
頭の中で走りながら解いていました。
走ってる時、脳は暇なので
そうやって考えながら走ると
体力的にも楽なんです。
人生で毎日生きてるとき
常に思考して、何故?
この物理現象はどうやって起こるんだろう??
数字を見たら計算したくなりますし
色々そこから思いつくことを考えたりもします。
読書をすれば、その読書の中で自分で
作者と対話して勉強できます……
みたいに
私は思考を巡らして
メイウェザーではないですが
物心つく前から、常に「勉強」してます。
ですから
どれくらい「勉強」したか?と聞かれれば
「お前らが休んでいるとき、俺は思考している。
お前らが寝ているとき、俺は思考している。
お前らが練習しているときは、当然俺も思考している。」
のです(笑)
こんなの当たり前のことで
頭の良さ?なんて
ほぼほぼ人生の思考量に比例すると
私は思っております。
そして、よく日本で聞く阿呆の権化とも
思われる発言が
「私は一日30分の勉強で東大に合格しました!」
の類いです。
それだけ頭がいい?ことをアピールしてるのでしょうけど……
これを信じるのも馬鹿ですが
これを言う方はもっと馬鹿です。
もし、
一日30分だけ脳が機能するように
他の23時間30分、冷凍か何かをして
意識を失った状態にして
これを1年続けて
東大に受かったら、その時
私は前言を認めますが……
「一日30分」は「おそらく席に座って
自宅で勉強?してた時間」のことで😭
何それ?って思います。
学校では勉強してるでしょうし
普通に椅子に座ってなくても
考えてるでしょうし
それら全てが「勉強」なのです。
ですから
私は物心ついてから
意識がない状態以外
夢の中でも思考してますし
ものすごく物事を考えて生きてきた。
そうすると別に「勉強」しなくても
普通に大学は受かります。
人生の思考量の一つのその段階での
結果みたいなものなのです。
皆さん(生徒)が私に抱く
イメージの数十倍~数百倍は
「勉強」してるんです。
なんで……
椅子に座って教科書開く時間以外を「勉強」って
言わないの?
なんでその時しか「勉強」してないことになってるの??って
思います。
これについては
意味が分からないので
私に先のような質問は聞かないで欲しいです。
そもそも
脳の働いてる時間、量なんて計ったこと
ある人が研究者以外にいるのでしょうか……
それを測るのも難しいと思いますが
もし私に受験に向けてどれくらい
勉強をしたか?聞かれたら
メイウェザーの名言をテンプレで返すだけです。
「お前らが休んでいるとき、俺は勉強している。
お前らが寝ているとき、俺は勉強している。
お前らが勉強しているときは、当然俺も勉強している。」と
2025年02月24日
2025年01月29日
アリスの言葉
Yesterday is a history.
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift.
That's why it's called the present.
昨日は歴史(過ぎ去った事実)
今日は未知なるもの(人智では計り知れぬもの)
今日は贈り物
だから現在をプレゼントと呼ぶのです。
これはアリス・モース・アールの言葉です。
彼女は19世紀の中頃に生まれた
歴史家、作家で
「拷問と刑罰の中世史」という本を書き
その中にある言葉です。
私はもう二十年以上前になりますか
お茶の水の明治大学の
「拷問展」に行った時に、この本を知りました。
今日は神様からの贈り物🎁
素敵な言葉です✨
私もこの贈り物である今日一日を
しっかり
自分なりに「正しく」生きようと思います😀
Tomorrow is a mystery.
Today is a gift.
That's why it's called the present.
昨日は歴史(過ぎ去った事実)
今日は未知なるもの(人智では計り知れぬもの)
今日は贈り物
だから現在をプレゼントと呼ぶのです。
これはアリス・モース・アールの言葉です。
彼女は19世紀の中頃に生まれた
歴史家、作家で
「拷問と刑罰の中世史」という本を書き
その中にある言葉です。
私はもう二十年以上前になりますか
お茶の水の明治大学の
「拷問展」に行った時に、この本を知りました。
今日は神様からの贈り物🎁
素敵な言葉です✨
私もこの贈り物である今日一日を
しっかり
自分なりに「正しく」生きようと思います😀
2021年02月21日
お口直しに
先程
個人的に嫌な記事を書いたので
全科学者に
肝に銘じて欲しい
私の大好きな物理学者ファインマンの
お言葉を
For a successful technology,
reality must take precedence over public relations
,for nature cannot be fooled.
ある科学技術で結果を出すためには
スローガンより事実が優先されるべきだ
なぜなら、自然を欺くことなどできないからだ
補足:ファインマンは英語は苦手です
natureは日本の「自然」より
もっと神った感じの英語です(笑)
欧米人にとって
今の科学を見たら
ファインマンは泣く( ;∀;)と思います。
個人的に嫌な記事を書いたので
全科学者に
肝に銘じて欲しい
私の大好きな物理学者ファインマンの
お言葉を
For a successful technology,
reality must take precedence over public relations
,for nature cannot be fooled.
ある科学技術で結果を出すためには
スローガンより事実が優先されるべきだ
なぜなら、自然を欺くことなどできないからだ
補足:ファインマンは英語は苦手です
natureは日本の「自然」より
もっと神った感じの英語です(笑)
欧米人にとって
今の科学を見たら
ファインマンは泣く( ;∀;)と思います。
2020年04月15日
私の好きな言葉
私は論語を読まされていたので
あまりいい印象がないですが(笑)
その中でも
すごく考えさせられたこともあります。
知之為知之、不知為不知、是知也
読みますと
これを知るをこれを知るとなし
知らざるを知らざるとなす
これ知るなり
人間には考えて分かることと
考えても分からないことがあり
その境界をわかることが知るということ
なんだ、という意味です。
孔子が弟子に
なんで孔子は霊魂とか鬼神とか
理屈では理解できないようなことを
考えないのか?と言われて
孔子が答えた言葉です。
世の中には考えてもしょうがないことがあって
その境界をわかった時に
本当に物事を知ったということになる、と。
孔子が紀元前550年くらいの人
ヨーロッパではカントが
理性の働きうる限界を考え出したのが
1700年代
孔子と同時期50年くらい後ですが
ヨーロッパでは
ソクラテスは無知の知を
言っていたくらいで…
中国の昔の思想って
進んでますよね
人間が脳で考えることって
それほど変わらないのかもしれないですが。
まあ
カントが論語を読んでたのかは知りませんが(笑)
これを私が
理系的力を使って
現代風にアレンジしますと
人間は知れば知るほど未知の領域が爆発的に広がるので
あーる
それは知っている領域を3次元球体内部だと思ってください。
その球が膨らむ、これが知っている領域が広がるということですが
球の表面が未知との境界ならば
その境界の表面積の増加率は
半径が大きくなれば二乗に比例して大きくなりますので
知れば知るほど
二乗に比例して未知なる部分も増える!
なーんて
そんなん図形で考えられるか!
と
色々な時代の思想家に怒られますね(笑)
あまりいい印象がないですが(笑)
その中でも
すごく考えさせられたこともあります。
知之為知之、不知為不知、是知也
読みますと
これを知るをこれを知るとなし
知らざるを知らざるとなす
これ知るなり
人間には考えて分かることと
考えても分からないことがあり
その境界をわかることが知るということ
なんだ、という意味です。
孔子が弟子に
なんで孔子は霊魂とか鬼神とか
理屈では理解できないようなことを
考えないのか?と言われて
孔子が答えた言葉です。
世の中には考えてもしょうがないことがあって
その境界をわかった時に
本当に物事を知ったということになる、と。
孔子が紀元前550年くらいの人
ヨーロッパではカントが
理性の働きうる限界を考え出したのが
1700年代
孔子と同時期50年くらい後ですが
ヨーロッパでは
ソクラテスは無知の知を
言っていたくらいで…
中国の昔の思想って
進んでますよね
人間が脳で考えることって
それほど変わらないのかもしれないですが。
まあ
カントが論語を読んでたのかは知りませんが(笑)
これを私が
理系的力を使って
現代風にアレンジしますと
人間は知れば知るほど未知の領域が爆発的に広がるので
あーる
それは知っている領域を3次元球体内部だと思ってください。
その球が膨らむ、これが知っている領域が広がるということですが
球の表面が未知との境界ならば
その境界の表面積の増加率は
半径が大きくなれば二乗に比例して大きくなりますので
知れば知るほど
二乗に比例して未知なる部分も増える!
なーんて
そんなん図形で考えられるか!
と
色々な時代の思想家に怒られますね(笑)
2017年11月29日
わたしの好きなことば
私はやはり
一期一会
ということばが一番好きです。
毎授業、毎日
そう
心に刻んで生きてます。
一期一会
ということばが一番好きです。
毎授業、毎日
そう
心に刻んで生きてます。

