同じようなことを繰り返しますよね😅
私は最近
日本でいろいろ言われてること
大きな声、これはネット上における日本社会の話ですが😂
安保闘争、学生運動と似たような構造の話が
言われています。
これ「ら」の動きに対して
いつも
私は政党政治の限界を感じざるを得ません。
政治的議論の場において「自分は保守だ」「あなたはリベラルか」といった
立場表明を強く求める風潮が目立つようになっていると思います。
歴史は繰り返す、ということですが。
ネットのおかしな人々、もしくは現実の政治でもそうなので
日本人全体に蔓延してることなのかも知れませんが
こうした態度は
一見すると自らの思想を明確にする
健全な行為のように見えまずが……
しかし実際には、このレッテル化こそが
建設的な議論を阻害し、
現代政治の歪みを生み出しているのではないか?
って思うんです。
例えば、外国人移民政策に対してもそうですが
これは今ある日本の現状と理想の中で
どうしていくべきか?どうせざるを得ないか?
精緻に議論を積み重ねないといけない問題です。
ただこの問題に対して
外国人をどうやって上手く社会で活用していくか?
みたいな話をする人は
ネットで「反日」だって言われる訳です。
そこで何一つ建設的な意見は交わされない。
相手の意見を真摯に聞こうともしない。
そもそも
なんで人の意見は意見で
その人が好きか、嫌いか
その人の属性と離して
考えられないのでしょうか?
ピタゴラスの定理を使うのが
善人だろうが悪人だろうが
ピタゴラスの定理自体の正しさと
全くもって無関係ですよね?
これは日本の義務教育が良くないのでしょうか?
ちゃんと学校で教えなかったんでしょうか……
昨日書いた「反ワク」も
全く同じことがおきてるわけです。
ワクチンに対して意見が違うだけで
人格攻撃をする
名誉毀損だ、法的措置をとるぞ!とか……
外国人問題の「反日」も同じです。
正気の沙汰ではないです。
こういうことをする人が到底
日本の義務教育を経てきてるとは
思えないです。
政治の話に戻すと
本来、個人の政治的判断は単一の軸で整理できるものではないです。
安全保障、経済政策、福祉、表現の自由、環境問題など、
政治的イシューは多岐にわたり
それぞれの問題に対して、個人が異なる価値観や優先順位を持つのは
当然であり、あるイシューではいわゆる「保守的」な立場を取り、
別のイシューでは「リベラル」と呼ばれる考えに
賛同することも何ら不自然ではない。
……というか当たり前です。
人間なんて基本的に皆考えが違うんです。
何かの立場表明を求めるということで
あらかじめ立場を固定し、その枠組みの中で意見を求める態度は
思考の柔軟性を奪ってしまいますよね。
ですから、こういうレッテル貼りは嫌いですし
さらに厄介なのは、「あなたの立場はどちらか」と迫る行為が、
議論の内容よりも陣営の確認を優先してしまう点なんです。
これは相手の主張を理解しようとする姿勢ではなく、
分類し、敵味方を峻別するための問いに近いです。
すべでそうだと思います。
その結果、政策の是非ではなく、発言者の属性が評価基準となり、
是々非々の判断が困難になります。
普通に議論が出来ない、相手の考えをとりあえず
しっかり聞いて理性的に考えることが出来なければ
議論なんて成立しないですし
そもそも喧嘩が目的である議論はやっても意味がないです。
お互いがお互いの見えてないところを知る
それによって自分の意見をより深いものにする
そのために議論はあるわけなんです。
なぜなら、そもそも人間は、皆考えが違うからです。
このレッテル貼り、立場の固定化問題は
政党政治の仕組みとも深く関係しているんです。
政党は多数を形成し、政策を実行するための装置として機能してきました。
だけど党議拘束によって
個々の議員の判断や専門的見解が抑制される場面も少なくないです。
本来、イシューごとに熟議し、賛否を判断すべき問題であっても、
「党としての立場」が優先されることで、多様な意見が表に出にくくなるんです。
ここに、現代の政党政治の限界を見ることができますし
だから私は政治が嫌いなんです😂
科学を歪めますしね😭
政治的立場を固定しない態度というのは
しばしば「優柔不断」や「無責任」と誤解されがちですが
しかし実際には、それは問題ごとに考え続ける姿勢の表れであり、
むしろ民主主義にとって不可欠な態度ではないのかと
思います。
だから、真面目に考えると、ある政党に投票するというのは
難しい問題です。
個々に政策をしっかり考えたら、一致する政党なんてないので。
保守かリベラルかという二分法に安住するのではなく、
個々のイシューに対して自らの頭で判断することこそが、
分断の時代における成熟した政治参加のあり方だと思うんですが
そんなこと
今の政治に求めても無駄ですよね。
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ちゃんと学校で教えなかったんでしょうか……
少なくとも私は、学校で「議論の相手の人格を攻撃しない」といった、議論を行う上で最低限守るべきルールを習った覚えはないです。
議論の相手の人格を攻撃したら、それはもう議論ではなくて口喧嘩になってしまいますし、先生の仰っている議論の効用も得られなくなってしまうと思います。
>>お互いがお互いの見えてないところを知る
それによって自分の意見をより深いものにする
そのために議論はあるわけなんです。
ですので、野矢茂樹著『論理トレーニング101題』(産業図書)の第五章「論証を批判的にとらえる」の内容なんかを、義務教育で教えて、実際に議論のレッスンを行うとよろしいのではないかと考えております。
また、私は、政治や政治学には疎いのですが、先生の仰っている通り、法案採決における党議拘束を緩めることが、分断を乗り越える一つの方途なのかも知れませんね。
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https://cigs.canon/article/20230623_7529.html
アメリカの政党では、党議拘束はない。与党議員でも大統領が望む法案に反対する。各議員へのロビー活動は活発になるが、議員の政策への理解度は高まる。日本と同じ議院内閣制をとるイギリスでも、はっきりと党議拘束をかけるのは予算案だけで、ブレグジット法案の採決に見られるように、党議拘束は緩やかである。
今の自民党議員は、党が決めた方針通りに投票する。党議拘束がなければ、各議員は議会での投票行動を選挙民に説明しなければならない。「党が決めたから」という言い訳は通じない。支持者を説得できるだけの説明能力が求められることになる。議員の質の向上につながる。
このような改革を行う上での最大の障害は、世襲議員を含め現在公認を得ている人たちから、改革の声が上がらないことである。彼らが既得権者なのだ。結局、政治を動かすのは世論である。いまこそ有権者は選挙制度改革について、声を上げていくべきではないだろうか。」
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