「文句を言う前に強者になれ」といった
言説が頻繁に見られます。
これを見るたびに
私は思ってしまうんです。
素直な人間なので😁
その人たちが使ってる「強者」「弱者」という言葉の定義って何?って
これは言語学的に正しいとか正しくないとか
正確だとか不正確だとかを言いたいわけではないです。
使い方に文句があるわけでもないです。
純粋な疑問なんです。
ある人が自分の「強者」「弱者」という言葉の定義を
表明してくれれば、その文脈で読んでいくので
問題ないのですが😅
それが示されないので、その言葉を元にされる議論が
ちんぷんかんぷんなんです。
今日はこれについて考えてみます。
まず、社会における「強さ」「弱さ」は、原則として相対的な概念ですよね?
収入、地位、学歴、身体能力、発言力など、いずれの尺度を取っても、
それは他者との比較によって初めて成立しますよね?
したがって、相対的な意味での「強者」を全員が
同時に目指すことは論理的に不可能ですよね……至極当然に。
誰かが相対的に強くなれば、必ず誰かが相対的に弱くなりますから。
全員強者には絶対になれません!😁
そうなると「全員が強者になれ」というスローガンは、
この時点ですでに論理的な整合性を失っています。
では、強者・弱者を絶対的な概念として捉えているんでしょうか?
でもそういう場合
絶対的な「人間の強さ」を測る共通の評価軸は現実には存在しないですよね?
経済的に成功していても精神的に不安定な人はいるし、
知的能力に恵まれていても社会的に報われない人もいます。
人間は複数の側面を持つ存在であり、ある文脈では強く、
別の文脈では弱いということはごく自然なことです。
一人の人間を単一の尺度で「強者」あるいは
「弱者」と断定すること自体が、実態を正確に反映していないですし
そもそも
自分を強者にしたい人が恣意的に評価基準を
設定できてしまいますよね?😅
だから、この議論を語る人は、いつでも自分の評価軸で
自分を「強者」にも「弱者」にも出来るんです。
こんなの何の一貫性もなく、語られるのは100%
自分にだけ都合のいい感情論ですよね?
誰かが、カタカタが分るかどうかで、
強者弱者を分けるんだ!って言われれば
私は完全な最弱者です😂
カタカタ苦手なんで…😅
このように考えていくと……
ネット上で使われる「強者」「弱者」という言葉は
もしかして
厳密な分析概念というよりも、感情的・道徳的なレッテルとして
機能している場合が多いのではいか?という風に自然に考えられます。
その文脈では
社会構造や制度設計の問題は後景に退き
「努力した者は正しく、報われない者は甘えている」という単純な物語が
前面に出てくる……
この構図は、複雑な現実を考えなくて済むという点で、
語る側にとって非常に都合が良いのではないか?って思うんです。
その結果、「弱者保護が行き過ぎている」という主張も、
具体的にどの制度が、どの程度、どのような弊害を生んでいるのかが
示されないまま語られることが多いですし……
「強者」「弱者」の定義も因果関係も明示されない以上、
その主張に「理があるのかどうか」を判別すること自体が困難になるんです。
私は分らないと言いましたが、正確に言うと
理解できないのではなく、評価するための材料が提示されていないんです。
私はどんな意見でもフラットにフェアに聞きたいんですが
そもそも使われてる言葉が
本人がどういう定義で使ってるか?明示してくれないと
何もわからないんです😅
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