2026年01月19日

2026年、共通テストの問題を見て

2026年の共通テストの問題を見て
物理化学だけ対策をやった生徒がおりますが……
結構
直前にやった問題が出ていて
これ出来たんじゃない??物理も化学もって
思ったんですが
世の中、そんな上手くはいかないもので……

まあ上手く嵌まった生徒もいたのですが
そうではない生徒もいて……
なんでだろ??って思うんですが
こればかりは正直、私の解決できる範疇にないと
思うので

各生徒
結果が良かった生徒も
悪かった生徒も
切り替えてやっていくしかないです。

私はこの仕事を25年やってますが
センター試験から始まって
あまりいい思いはしたことはないです。
なくなって欲しい、センター試験共通テストって
思っていますが(笑)

ただ、例えば
今年の共通テストの現代文で
私が授業で雑談で話しているような芸術論がでました。
人類って
言うことは大体決まってるので、
いろいろ雑談をしていれば
どれかにあたるものです😂

大体……20年くらい前からですかね(間違えてたらごめんなさい)
Arts-Based Research(芸術に基づく研究)
というのが言われるようになりました。
それまでの芸術論って
「言語化できるものしか扱えない
数値化・説明可能性が重視される
感覚・身体・感情が排除される」なんです。
簡単に言うと客観性があることが、最重要視されたんです。
「科学」にいれてもらえようとして

でも芸術なんて、これでは回収できない「知」がありますよね
それを何とかしようというのがABRです。
エリオット・アイズナーElliot Eisner
とか
トム バロン Tom Barone
が主張し始めたんです。

ざっくり言うと
ABRとは、従来の研究手法とは違って
芸術制作が研究そのものとして成立するように
構成する方法論のことです。
制作行為の中で生まれる思考や省察を他者と共有し
学問体系に位置づけることを目指しているんです。

芸術は認識の形式、思考の様式
である
書くことだけが「考えること」ではない

この話がなんで、私の授業の雑談で出てくるのかというと
私はノートを取らないで
勉強する派で
筑駒の先生方と多いに揉めてたんです。
その私の主張を芸術論で裏付けて生徒に
自分を正当化してるんです😂


今回の共通テストの評論文
私なら1行も本文を読まなくて解けますが😂
本文にも書いてない
櫻井あすみさんの考えをざっくりと話しておくと

美術って私達に結局、何を与えてるの??
今までの美術論って
美術を
「価値を交換するモノ」
「評価・成果として回収される制作」と
捉えてるけど、それって本当??って
いう話です。

まず「gift」を定義します。
これはかなりマルセスモースの影響を受けてると私は
思いますが
「交換を前提としない
価値が事前に確定しない
受け手によって意味が変わる」としています。

これもざっくり言うと
芸術作品って作者だけのものじゃないよね?
それを受け取る側の「解釈」に委ねられる部分があって
言わば作者と受け取る側の
共同作業で芸術って成り立ってるよね??って
いうことです。
夏目漱石のこころなんて
筆者が余白を残しすぎてるせいで、色々な解釈があって
こんにちまで、論争や楽しませてもらってますからね😁

櫻井あすみさんは
美術作品=贈与としての特徴があると仰ってるんです
それは
作者の意図を超えて意味が生じる
受け手の経験・状況に依存する
「役に立つかどうか」で回収できない
→ つまり美術は、
与えた瞬間に制作者の手を離れる「贈与的出来事」なんだと。

ああ、ここで
一般の研究と何が違うの?って、私の読者はなると思うので
その辺をお話ししておくと
一般的な研究
って、「問い → 方法 → データ → 結論」みたいな感じですが
ABRは、制作そのものが問いであり、思考であり、省察である

という違いがあるんです。
それを櫻井あすみ流にいうと、芸術って贈与性があって
それを矛盾なく「研究」に落とし込むにはABRの方が良いよね、ってことです。

言ってることは至極
私の諸々の主張と同じで
ABRが生み出す知は明確な答え、一般化された結論ではなく
曖昧さ、多義性、余剰、誤解の可能性をそのまま含んだ知なんです。

美術教育において
制作を「成果物」に回収しすぎないこと
制作過程の揺らぎや失敗を排除しないこと
研究において
芸術の不確定性を欠点とみなさないこと、なんです。

ここまで
勝手に、櫻井あすみの説を私が解釈してきましたが
嬉しいことに、櫻井あすみさんから
物理屋hνが言ってる解釈は、全然ちがうんだ!!という反論は
論理的にこないんです。
だって、それも込みで
自分の作品だって、彼女は主張しているので😂

ときどき
大学入試に自分の文章が使われて
その答えや解釈がちがう!
全然分ってない、って言う人がいますが
それは
そう解釈されることも含めて、芸術なんだよ
外に発表された時点で
半分は受け取り側の解釈で価値が決まるもんなんだよ
って、私も思います。

モネの睡蓮が
睡蓮たる所以は、優れた鑑賞者を時代が生んだからなのです!✨
posted by 物理屋hν at 11:32| Comment(5) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月18日

共通テスト、終わりました

共通テスト……終わりました……

まあ、今年も悲喜交々ですが

これから
それぞれが選択して
受験校がしっかり決まってくるという
運びだとは思いますが

もうすぐ中学受験のシーズンも来ますし
忙しい闘いの日々は続きます。

なんか
新規募集について、記事と関係なかったので
載せなかったのですが
結構問い合わせがきてますが

新規募集は2/1からで、今年は例年通り
on-line授業だけにします!
posted by 物理屋hν at 00:00| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月17日

今日は共通テスト1日目です

今日も2時間弱ウォーキング
行ってきました。
そういえば暫く雨が降ってないので
ずっと歩いてますね😅
もう初めて14か月ですか……
自分でも
よく続くもんだと思います。
半ば呆れております。

まあ
自分のやるべきことを誠実に
コツコツやっていくのが
人生だと私は思っています

そのウォーキングの途中で
神社に行って、生徒が全員
しっかり自分のやるべきことをできるよう
祈ってきました。

自分がやったこと以上のことが出来るわけもなく
仮にそういう僥倖にあったとしても
それはそれで、運が良かったなあと思って
自分の実力だとかは
思わない方がいいです。

私はいつも生徒に言ってます。
結果より経過が大事なんだと
自分が出来る限りのことを誠実にやって
それで結果悪かったら
実力不足、努力不足で
また、コツコツ頑張ればいいんです。
結果が良くても
同じことです。
大学に受かったから、そこで人生は終わりではないです。
何かに成功した?それもゴールではなく
その後の人生を如何に生きるかが大事です。

今日は夕方以降授業がないです。
明日も授業は少ししか入ってないです。

共通テストに向けて
私ができる授業はしっかり出来ましたし
神頼みもしましたし😂
何の悔いもないです。
これ以上やれと言われても無理なので。

後は生徒が
本番でしっかり自分のやるべきことをやる
プロ受験生として
プロの仕事をしっかりやってくる
その結果がどうであれ
それはそれでまた新しい努力を続けて行くだけです👊
posted by 物理屋hν at 10:33| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月16日

レッテル政治と是々非々の思考

歴史は周期的にいろいろな
同じようなことを繰り返しますよね😅

私は最近
日本でいろいろ言われてること
大きな声、これはネット上における日本社会の話ですが😂
安保闘争、学生運動と似たような構造の話が
言われています。

これ「ら」の動きに対して
いつも
私は政党政治の限界を感じざるを得ません。

政治的議論の場において「自分は保守だ」「あなたはリベラルか」といった
立場表明を強く求める風潮が目立つようになっていると思います。
歴史は繰り返す、ということですが。

ネットのおかしな人々、もしくは現実の政治でもそうなので
日本人全体に蔓延してることなのかも知れませんが

こうした態度は
一見すると自らの思想を明確にする
健全な行為のように見えまずが……
しかし実際には、このレッテル化こそが
建設的な議論を阻害し、
現代政治の歪みを生み出しているのではないか?
って思うんです。

例えば、外国人移民政策に対してもそうですが
これは今ある日本の現状と理想の中で
どうしていくべきか?どうせざるを得ないか?
精緻に議論を積み重ねないといけない問題です。
ただこの問題に対して
外国人をどうやって上手く社会で活用していくか?
みたいな話をする人は
ネットで「反日」だって言われる訳です。
そこで何一つ建設的な意見は交わされない。
相手の意見を真摯に聞こうともしない。

そもそも
なんで人の意見は意見で
その人が好きか、嫌いか
その人の属性と離して
考えられないのでしょうか?

ピタゴラスの定理を使うのが
善人だろうが悪人だろうが
ピタゴラスの定理自体の正しさと
全くもって無関係ですよね?


これは日本の義務教育が良くないのでしょうか?
ちゃんと学校で教えなかったんでしょうか……

昨日書いた「反ワク」も
全く同じことがおきてるわけです。
ワクチンに対して意見が違うだけで
人格攻撃をする
名誉毀損だ、法的措置をとるぞ!とか……
外国人問題の「反日」も同じです。
正気の沙汰ではないです。

こういうことをする人が到底
日本の義務教育を経てきてるとは
思えないです。

政治の話に戻すと
本来、個人の政治的判断は単一の軸で整理できるものではないです。
安全保障、経済政策、福祉、表現の自由、環境問題など、
政治的イシューは多岐にわたり
それぞれの問題に対して、個人が異なる価値観や優先順位を持つのは
当然であり、あるイシューではいわゆる「保守的」な立場を取り、
別のイシューでは「リベラル」と呼ばれる考えに
賛同することも何ら不自然ではない。
……というか当たり前です。

人間なんて基本的に皆考えが違うんです。

何かの立場表明を求めるということで
あらかじめ立場を固定し、その枠組みの中で意見を求める態度は
思考の柔軟性を奪ってしまいますよね。
ですから、こういうレッテル貼りは嫌いですし
さらに厄介なのは、「あなたの立場はどちらか」と迫る行為が、
議論の内容よりも陣営の確認を優先してしまう点なんです。

これは相手の主張を理解しようとする姿勢ではなく、
分類し、敵味方を峻別するための問いに近いです。
すべでそうだと思います。
その結果、政策の是非ではなく、発言者の属性が評価基準となり、
是々非々の判断が困難になります。

普通に議論が出来ない、相手の考えをとりあえず
しっかり聞いて理性的に考えることが出来なければ
議論なんて成立しないですし
そもそも喧嘩が目的である議論はやっても意味がないです。

お互いがお互いの見えてないところを知る
それによって自分の意見をより深いものにする
そのために議論はあるわけなんです。

なぜなら、そもそも人間は、皆考えが違うからです。

このレッテル貼り、立場の固定化問題は
政党政治の仕組みとも深く関係しているんです。
政党は多数を形成し、政策を実行するための装置として機能してきました。
だけど党議拘束によって
個々の議員の判断や専門的見解が抑制される場面も少なくないです。
本来、イシューごとに熟議し、賛否を判断すべき問題であっても、
「党としての立場」が優先されることで、多様な意見が表に出にくくなるんです。
ここに、現代の政党政治の限界を見ることができますし
だから私は政治が嫌いなんです😂

科学を歪めますしね😭

政治的立場を固定しない態度というのは
しばしば「優柔不断」や「無責任」と誤解されがちですが
しかし実際には、それは問題ごとに考え続ける姿勢の表れであり、
むしろ民主主義にとって不可欠な態度ではないのかと
思います。

だから、真面目に考えると、ある政党に投票するというのは
難しい問題です。
個々に政策をしっかり考えたら、一致する政党なんてないので。

保守かリベラルかという二分法に安住するのではなく、
個々のイシューに対して自らの頭で判断することこそが、
分断の時代における成熟した政治参加のあり方だと思うんですが
そんなこと
今の政治に求めても無駄ですよね。

posted by 物理屋hν at 10:00| Comment(1) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2026年01月15日

新型コロナワクチン騒動総括

もうこれは散々私がブログでお話してきたことですが
俗に言う新型コロナワクチンの
何が問題で
何がおかしかったのか?
をまとめとして
書いておこうと思います。
今までブログで書いた話と
私の見解は現在になっても特に変わってないので
言わば焼き増し感半端ないですが……😂


私はそもそも
長年、ワクチン開発を追ってきました。
natureや諸々の論文雑誌で。
そこで語られていた、言わばconsensusは
SARSやMERSのワクチンって
そもそもかなり難しいよね?ということです。

それは一番大きな壁として
抗体依存性感染増強(ADE)の問題があります。
SARS・MERSでは、
ワクチンで作った抗体や免疫反応が
感染時に逆効果になる現象が動物実験で繰り返し観察されました

具体的には
抗体がウイルスを「完全に中和」できない
→ 逆に免疫細胞に取り込ませてしまう(ADE)
ワクチン接種後に感染すると
→ 肺で過剰な炎症(Th2型免疫、好酸球浸潤)が起き、重症化してしまう
ワクチン自体が「効かない」どころか「危険になり得る」
これが、研究者を最も慎重にさせた点です。

簡単に言うとコレ系のワクチンを打つと逆効果になるんです😱

今回の新型コロナ、COVID-19もSARSです。
これに急にm-RNAワクチンって、ん??って思うわけです。
こんなの普通に考えてヤバイです。
これに対してちょっとした開発側の
イクスキューズは読みましたが……何の根拠も示されない
願望のようなものです。

いやいや、そもそもワクチン開発の理念とは違わない??って思うんです。

私はワクチン開発の歴史も追ってきました。くどいですが。
こんなことが起こる前から。
ワクチンという技術には深いリスペクトがあります。
なぜなら、健常者に対して投与する医療介入である以上
安全性の優先度が絶対であり

そのために膨大な年月と費用をかけ、慎重に検証してきた歴史があるからです。
ワクチン開発なんて本当に儲かりません。

ただ、これもブログで
何回も書いてきましたが
ワクチンというのはDNAウイルスに対しての効果は絶大ですが
今回のようなCOVID-19やインフルエンザのようなRNAウイルスには
変異が多すぎて、そもそも不適用な技術なんです。

簡単に言うと、あまり効かないので
このアプローチ自体が間違えてると私は考えてるということです。
(DNAウイルスに対しては👍ですが)

RNAワクチンに関して、効果の面で過大評価されています。
感染予防効果は短期的で限定的、発症予防効果も条件付きで、
重症化予防効果だけが一定の効果を示す可能性があるに過ぎません。
これはインフルエンザワクチンのように
RNAウイルスに対するワクチンの性質からも予想されることであり
本来は「理想的な解決策」ではないと思います。

そもそもこの効いてるかどうか分らないような
インフルエンザワクチンが認められてきたのは、
絶対安全だという保障があったからだと思うんですが……。


私が過去にon-line授業になるまえに
中学受験のインフルエンザを気にするご家庭に
ワクチンを打ってきて下さい!と言われて
素直に打ってきたのもの
効くか効かないか知らんけど
というか
ほぼ効いてないでしょうけれど
絶対安全だから!打ってきたんです。
ご家族のメンタルのために(笑)

その絶対安全の保障がない
新型コロナワクチンなんて打つわけないですよね😅
これで死んだら、自殺よりも恥ずかしいので。
そもそも新型コロナにかかって死ぬなら
まだしもかかってない時点で
効きもしないワクチン打って死ぬって😅😅
末代までの恥です。
命の無駄遣いです。

ワクチンの研究者たちは倫理的責任感に基づき、
「人を守る」という一点に集中してきました。
その姿勢は、個人的には敬意以外の何ものでもないです。

でも、COVID-19パンデミックはその長年の倫理と科学の文脈を圧縮し
ある意味で飛び越えてしまった😭
ワクチンは短期間で大量生産され、緊急承認され、
世界中で数十億人に投与されました。
従来のワクチン開発では考えられなかったほどのスピードです。

もちろん、パンデミックの危機感や政治的圧力が背景にあり、
科学の世界だけで決定されたわけではないです。
それ自体は理解できます。

でもそのスピードの代償として
「不確実性を不確実性として保持する」科学的態度が
大きく失われたと私は思うんです。

つまり、感染や発症の抑制に関しては限界があるワクチンを
数十億人に投与することの倫理的許容性は
従来の慎重さの尺度で考えれば、本当におかしな話です。

COVID-19ワクチンの安全性についても
従来のワクチン開発プロセスに比べて
十分に担保されていない可能性すらあるんです。
副反応報告は多数あり、長期的影響はまだ十分に追跡されていません、

ADEの問題も、理論的には依然として未解決です。

安全性は絶対的であるべきであり
効果が限定的なワクチンにおいては
なおさら慎重であるべきですよね?

これについて、日本社会の反応も
私は、お前ら大丈夫か?って思いました。
思いやりワクチンだから打てとか
完全に安全性は担保されたとか
出来てもない嘘を政府側が言い……
それらの発言の責任は現在も誰もとってない。

それぞれのメッセージは単純化され
極端な二分法が生まれて、
俗に言う推進派は「絶対安全・絶対有効」と主張し、
反対派は「絶対危険」と主張する。
どちらも、現実の科学的データでは断言できないはずなんです。

でも政治や心理的安心のために、極端な言説が生まれ
科学的な不確実性は排除されてきた……
この構造は非常に危険だと思います。
この社会の反応の仕方に対してこそ
これから歴史に学ばないといけないと思います。

科学は、絶対の真実ではなく、
暫定的な知識と条件付きの評価の上に成り立つものなんです。

私のようなブログ、立場

今まで言ってきたことと違うけど?
どうなってるの??って
科学的にしっかりフラットに分析しなきゃだめだよね?
特に今までの話と文脈を政治によって180度変えてるので……

これを言うだけで「反ワク」認定です(笑)

いやいやそもそもワクチンに推進も反対もないんです!
なんだ😠この二項対立と思います。

そして、今
敢えてこの分類を認めてメタで考えてみると
推進派と反対派は、表面的には対立しているように見えますが
実は構造的にはよく似ているんです。
どちらも心理的安心を優先し、不確実性を避けるという点では
共通しているので。

科学的態度として最も重要な
「分からないことは分からないと言える勇気」
「条件付きで考える」という姿勢が、
この状況では最も排除されやすかったことに
私は強い違和感を覚えました。

私はワクチンを否定したいわけではないです。
むしろ、人類の叡智として尊敬している部分があるからこそ、
雑に扱われることや、政治的・社会的圧力によって
科学が歪められることに耐えられないんです。

科学は政治的物語の正当化装置ではなく
自己修正を続ける知的営みであるべきなんです。
政治や社会は科学を利用することはできるが、
科学そのものの価値を変えるべきではないんです。

これくらいで長くなってきたのでやめますが
今回の新型コロナで
はっきり分ってることは
これは「人工」で作られた、デザインされたものだということです。
武漢研究所起源のものや、オミクロン株なんて
誰が見ても人工生成物です。
自然発生だと言う方がかなり無理があります。
無論可能性としてはあります
私の運動能力でNBAで大活躍できるくらいの😂

なんか、これについて色々な陰謀説があります。
ワクチンとセットで、儲けようとしたとか……
そういう考えは私はまだ、どうか……??と思っています。
かなり懐疑的です。

最初に武漢から漏れたのはおそらく「事故」なんだとは思います。
そのあとのオミクロンについては???と思いますが

何を言いたいかというと
こういうウイルスをもう人類は人工的に作る
技術をもってしまってる訳です。
もったからこそ、試してみたいと考える阿呆もいるわけです。
これに対して難しい話ですが
監視態勢を整えないと
核兵器より怖い事態が起こってしまうと思います。
posted by 物理屋hν at 00:00| Comment(5) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする